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● 理念 ●
院長経歴 ●
慢性副鼻腔炎のはなし ●日医ニュースより ● 医師の仕事とお正月 日医ニュース第1209号,2012.1, 日本医師会
私事ですが、実家は、名古屋の下町の市場の中で玩具店を営んでいました。 そのため子供の頃は、クリスマスやお正月を家で過ごしたことはありませんでした。 年末や大晦日は、夜中まで商店はどこも人であぶれかえって、という時代でした。 冬休みに入ると毎日店で手伝いをして過ごし、大晦日の夜は年越しカップ麺を食べ、やはり市場の中の電器屋さんで歌合戦を見ました。 正月も商店が休むなどもってのほかで、やはりお店で過ごしました。 他のお店を回るといっぱいお年玉をもらえ、ただそれだけが楽しみでした。 お正月なんてなければいいと子供心に思い、大人になって家族ができたら、クリスマスやお正月は家でいっしょに楽しく過ごそうと思いました。 自営ではなく勤務の仕事に就こうと考えました。 専門職になったら、いくらなんでも家業を継げとは言われないだろう、そんな浅はかな考えもすこしあって、興味があった医師の道をえらびました。 耳鼻咽喉科の研修医になって初めての年末。 喉頭全摘と、上顎亜全摘と、中咽頭癌の摘出再建と、とどめに下顎骨・舌全摘&再建の患者さんの受け持ち・手術が立て続けにありました。 合間にある扁桃や鼻の手術の受け持ちが、変な話ですが束の間のほっとできる場でした。 病棟に戻れば、現在では何でもないケースですが、当時はまだ病態がはっきりしなかった変動型低音障害感音難聴の症例にアタマを抱え、外来と手術がようやく一段落した消灯後に、毎日聴力検査をしました。 さすがに今年ももうこれで終わりかと思っていたら、錐体尖部まで波及し突然顔面麻痺を発症して発見された先天性真珠腫の高校生と、高熱下痢と大きな口内炎を反復して小児科から紹介されてきた7ヶ月の乳児の受け持ちを命じられました。 先天性真珠腫は、耳内所見が正常だったり滲出性中耳炎と同じような所見だったりするので、耳鼻咽喉科専門医でも看過されることがしばしばあります。 翌日、緊急で中耳と内耳を全摘する大手術となりました。何時間もの手術の間、乳児の熱が弛張しているとの連絡が何回も入りました。 生後7ヶ月なんだし、まさかね、と思いつつも、国家試験の記憶を辿って免疫機能の採血をオーダーしました。 クリスマスの日に返ってきた結果はやはり、彼女は、免疫グロブリンもB細胞もT細胞も殆どない「重症複合型免疫不全症」であることを示していました。 なんだかんだで、結局お正月は医局で、まるで正月らしさのない弁当を食べて過ごし、すこし空いた時間には、やはり医局にいた同僚や先輩に、あまり意味がないなあと思いながら遅い年賀状を書きました。 どの先生方も、毎年こんなクリスマスやお正月を過ごされているのでしょう。 一番年末年始を楽しく過ごしにくい職業を選んでしまったことに気づき、現実を思い知らされました。 そしてその後も、内容の差こそあれ毎年のように、こんな年末年始が続きました。 喉頭全摘後の気管孔がpin-hallほどに縮んでしまい、さすがに呼吸が苦しくなって、年末休みになってからようやく来院したおじいちゃん。 医師が少ないため、年末から年始にかけて怒濤の3連続全科当直。 富山の小さな病院での元旦ひとり当直では、地区の耳鼻科当番も重なり朝から百数十名の外来をこなし、やっと患者がひいた夜中に在宅の死亡確認往診依頼までかかって、一日全く飲まず食わずのお正月となりました。 十年ほど経って、さすがに心身とも疲弊してしまい、ミレニアムの大晦日には初めて、実家の窓から、新しい時代のお祝いの打ち上げ花火を見て過ごしました。 皮肉にも、開業してようやく、すこしゆったりしたお正月が過ごせるようになりました。 年ごとに体のあちこちが悲鳴をあげ始めているのを感じながらも、今年も無事お正月を迎えられること、そしてキツいけれども、人の命を預かる職業に就けたことに感謝、です。
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